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【 千葉家のいろり火 】(気良) |
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明宝気良の千葉孫兵衛さん宅には、現在約790年も燃え続けているいろり火があります。
この火種は、承久三年(1221年)に火打ち石で点火されたのが始まりで、以来代々家長が責任を持って受け継いでおり、一度も消えることなく守り続けてきました。
「火を絶やさず、代々伝えてくりょ」との先祖の言葉の重みが感じられます。
この伝統の火は平成3年11月に磨墨の里公園(道の駅・明宝)の無料休憩所『磨墨庵』のいろりに分火され、いつでも伝統の火の温かみを感じていただけるようになりました。(こちらも分火以来一度も消えること無く続いています)
*千葉家は個人宅のため、見学には事前に確認が必要です。 |
【 磨墨太鼓 】 |
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磨墨太鼓を紹介いたします。
磨墨太鼓は成長し続けており、メッチャ楽しめる郡上の顔です。
名馬の里として知られたここ明宝では、その「磨墨」の名にちなんだ顕彰活動が数多く行われています。その中でもこの太鼓は代表的なもので、昭和62年に創作、結成され全国的規模で交流・演奏活動をしています。
詳しくは、コチラ |
【 こっぱ工房 (熊崎義登) 】(寒水) |
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若い頃から彫刻を続けてきた熊崎さんは、サワグルミやカツラの木など地元の素材を使って主に人物の彫刻の作品を手掛けこれまでに県の美術展でも入選をされました。
自宅の近くに“工房こっぱ”を経てられ、色々な木を使っての彫刻や工芸品を作ってみえます。是非立ち寄ってみてはいかがですか?
個性溢れる木彫り作品が見られ木彫り工房です。
こっ‐ぱ 【木っ端】 とは、用材を切り取ったあとに残る木のきれはし。木くず。 |
【 明宝ハム工場 】(気良) |
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「明宝ハム」が製造される工程をガラス越しに見学できます。
「明宝ハム」は昭和28年に農山村の食生活改善運動と村の畜産振興が目的で製造を開始しました。
美しい山々、長良川の支流、文字通りの山紫水明の地・郡上明宝で30余年の歳月をかけ明宝ハムのおいしさは育まれて参りました。その明宝ハムの製造工程を見学いただけます。工場には売店も併設しておりますので、試食を召し上がっていただきお買い物をしていただけます。
webサイト http://www.meihoham.co.jp/ |
【 明宝歴史民俗資料館 】(気良) |
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かつてあった小学校の校舎を、をのまま使用し民俗資料博物館として昭和37年に設立。人々が実際に使用していた生活用具を中心に、約47,000点あまりが収蔵されています。そのうち国有形民俗文化財に指定されているものは3,594点にのぼります。
webサイト http://www.gujomeiho.jp/museum.html
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【 名馬 磨墨 】(大谷) |
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歴史に名だたる宇治川の先陣争いに梶原源太景季が乗った名馬「磨墨」は、古来わが明宝気良の産と語り伝えられている。
今からおよそ八百年前、某家の牝馬が気良の北方烏帽子岳の麓、巣河の地において天馬の種を宿し生まれたのが磨墨である。その名のとおり色あくまで黒く精悍な容姿であった。磨墨は、毎朝自分で厩栓棒を外し巣河に向かって走り、蘭とも蛍草とも言われる霊草を食み、大滝の奥の乳白色の霊泉を飲み、形質ともに類のない駿馬になった。
今に、磨墨のゆかりを誇る気良の田城・下倉の両家には古くから轡を伝えている。弥右ェ門という家には馬銜の幅が二十センチもあって馬の治療に霊感あらたかなものとされる巨大な轡なるものが伝わっている。
元来この地は、寒冷・高燥かつ石灰分に富む良質な草が得られ、幕藩時代からこの度の大戦頃まで、高名な馬の産地であり、また往時のいわゆる鎌倉街道筋と言われることからも何らかのかかわりがあって磨墨が源頼朝公の手に渡ったのであろうと言われている。
その後は、梶原景季の馬として幾多の戦いに活躍し、最後は尾州羽黒(現在の犬山市)で没したと言われており、その英霊は梶原家の菩提寺興禅寺に手厚く祀られている。
♪ 郡上は馬どこ あの磨墨の 名馬出したも ササ 気良の里
(郡上おどり 『春駒』 より) |
【 郡上市指定天然記念物 耳柿 】 |
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へたの部分に耳のようなものが付いた珍しい山柿。大きくなっても片手に乗る程小ぶりな柿です。残念ながら渋柿のため食べられません。これにまつわる昔話も伝わっています。
明宝寒水の山奥に原木は残っていますがかなりの老木。樹齢は不明ですが100年以上と見られています。でも数年前に接ぎ木した若い木に毎年“耳”の付いた実が実ります。現在子供は7本。
◆昭和62年6月16日 明宝の天然記念物に指定
◆平成16年3月1日 町村合併により郡上市の天然記念物となる |
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